◇高遊原カントリークラブの誕生
オープン記念マッチ
1972年(昭和47年)に、熊本電鉄が中心となり熊本製粉など10社が参加して資本金5000万円で熊本企業開発株式会社を設立、初代社長には三浦富治次郎氏が就任した。
当時の計画では、27ホールのチャンピオンコースで、クラブハウスのほか付帯施設として、子供遊園地やホテルも計画されていたが、用地買収に加えて、おりからのオイルショックや資金面のこともあり現在の状態になった。
施工は、コースレイアウトが間野貞吉氏、コース工事は西松建設、ハウス設計は三菱地所、建設工事は清水建設で、林間丘陵コースとして1年余をかけて完成した。
1974年(昭和49年)8月8日、いよいよ「高遊原カントリークラブ」が誕生し、当日の午前9時半から、1番ティーにおいて、オープン式典、オープン記念マッチが行われた。
◇高遊原(たかゆうばる)の読み
高斎原の聖域説を暗示する
阿蘇遥拝地の石碑
高遊原カントリークラブ・・・、メンバーにとっては誇りと親しみをもって呼んでいる「たかゆうばる」であるが、県外の方などは「こうゆうげん」と呼んでいたり、何と読むのかと聞かれる事が多い。
上を「たか」と読ませるなら、下は「アソビ」と同じ訓読みで読ませればよいものを、こちらでは音で「ユウ」と読ませている。
古来このような読み方を湯桶(ゆとう)読みと称えている。
この高遊原を「津森村郷土誌」では、名勝として記し、阿蘇遥拝地の石碑(阿蘇大神と掘ってある)が立つ。熊本空港の南、高遊原公園がその場所である。
諸説あるが、「おほしさん伝説」によれば、天から降りた猿田彦が、高遊原の濃霧の中でどこにおりるか迷われた時、鶏の声がしたので降りたらそこが杉堂であったと云う。
高遊はらの原義は、この伝説のように「おほしさん」を関係が深い聖地であり、高遊原は、神の斎く、「高斎原(たかユウばる)」であるとの聖域説があり、阿蘇遥拝地とある石碑がそれを暗示している。
(猿田彦とは、神話で天照大神が天から日向国高千穂の峰に天降ったときに、その道案内をした。後世庚申信仰や道祖神などと結びついた。日本各地の分かれ道などで、猿田彦大明神として祭られている)
◇「再春館レディース」準備秘話
再春館レディース '93
快晴に恵まれた最終日は15,700人が詰め掛けた
再春館製薬所は「桜」がトレードマークで、再春館レディースのマークも桜、それに桜チャリティー基金として拠出しているが、クラブとしては、その桜の期待に応えたいと、1番のスタートの場所に、農園から桜の木を持ってきて植えたが時期が3月中旬、いかに熊本でも未だ開花していない。
苦肉の策として、石油ストーブで桜の木を暖めて、なんとか蕾とちらほら花が咲き出して準備関係の皆さんがほっとしたひとこまもありました。
おかげさまで、再春館レディースが行われた3年間は、何れも好天に恵まれ、それも裏方のご苦労があった賜ではなかろうかと感謝します。
熊本高遊原カントリークラブ
熊本県上益城郡益城町大字田原1122 [MAP]
TEL : 096-380-5515 FAX : 096-389-4343
熊本市内から40分(約12km)/ 九州自動車道「益城熊本空港IC」から10分(6km・県道36号線)/ 熊本空港から3分(隣接)